絵はだれにでも描ける。
絵はだれにでも描ける。
Bonjour, Je m'appelle Pochikei. J'ai vingt et un ans Je viens du Japon.
こんにちは。ぽち慶は祈願悲願念願の家出を叶えました。今、カナダのMontrealにコンセプト・アートの修行に来ています。学校に通うためホームステイをしながら4月まで滞在します。ホームステイといってもホームステイファミリーは別宅で寝泊まりしていて、ぽち慶は3階建てのビルの最上階のキッチン、ランドリー付きの個室で寝泊するという予想外の一人暮らし状態。しかし2階に行けばホームステイファミリーの父の会社のオフィス、茶室と長男さんの勉強部屋があり深夜以外は長男さんの大学の友だちが必ず大人数で遊びに来ていてスマブラやったり暗殺教室観たりわっしょいホームステイ状態。何故、ぽち慶はMontrealまで来て 16才の少年少女達にお勧めのジャパニメーションをフランス語、英語、中国語で教わっているのいるのだろうか、なぞにゃむ。À bientôt。
絵はだれにでも描ける
美大生やってるぽち慶はよくこういわれます、「絵描けるのすごいね」「いい感性してるんだね」と。ぽち慶はそうは思いません。絵は、見る力さえ鍛えれば誰にでも描くけます、誰にでも(極度の視覚障がい者は除く)。人間を官能的に表現すること、誰も見たことのない感動を生むことにはまた別の鍛錬が必要です。しかしそれでも絵は誰にでも開かれているのです。今回はその見る力の最も基本的なことをお話しします。にゃむ。
1. ”光”と”影” はいつもいつでも必ず分かれている。混同するならず。
皆さん、この写真を観察して特徴を上げてみてください
- 素晴らしい、ペンだ。
- ペンの持ち主は優秀にちがいない。
- WACOMだ。
すべて正解です。が、光と影に注目して観察すると次の特徴が挙げられます。
”光”と”影” はいつもいつでも必ず分かれている。混同するならず。
もっとわかりやすくすると・・・・・
この法則は森羅万象にあてはまります。
例えばこのトマト。
鉄の男にだって。
色と光が複雑だったらスマホで写真を撮ってモノクロ変換しましょう。複数のLight Sourceと反射光は本質がわかりにくくなるので省くことを勧めます。一番明るいLight Sourceを基準にして観察しましょう。
2. 測り、比べる。
この写真に注目してください。
描きたい構図は写真を撮るときに決めます。縦横の辺の長さを比較する最大基準として、それぞれのオブジェクトの大きさを割り出していきます。
車の大きさはこの構図の中では約、高さ車3.5台、幅は2台入るくらいです。目測が苦手な方は写真を複数印刷し切り貼りして確かめるか、定規を使いましょう。
3. 昼は暗い→明るい、夜は明るい→暗い。
日中は暗い→明るい、夜間は明るい→暗い、です。スマホで写真を撮ってモノクロ変換するとわかりやすくなります。
4. 写真を切り貼りしてコラージュしよう。
自分だけのファンタスティックな画面を作りたい場合、写真コラージュが有効です。
例えばこの絵、猫を擬人化して絵を描くかせています。
ぽち慶はこの絵を描くためにこのコラージュを作りました。写真コラージュを作り観察することによって、確実に写実性を上げることができるのです。
この様に、写真をベースにしたトレーニングを積めば、Tone、プロポーション、構図、グラデーション、Light and Shadowについて効率よく勉強することができます。一度描いたものは手が覚えます。絵は運動で記憶するのです。それはイマジネーションだけで絵を描くときに大変役に立ちます。
撮って、測って、比べる。それさえできれば絵は誰にでも描けるのです。
何故絵を描くか。
見る力を訓練すれば誰にでも描ける絵ですが、ぽち慶知る限りの一般には音楽と同様に特殊技能として扱われているのが現状です。何故なのでしょうか。そもそも絵を描くことは楽しいのでしょうか。最初は楽しいですが、突き詰めるとめんどくさいです、すごくめんどくさい。
めんどくさい。
めんどぐざい。
めんどぐずうあい。
一日最低5時間は描くように務めています。といってもプロの方から見ればなんというめんどくさくなさでしょう。春夏秋冬関係なく一日中時には24時間机にかじりついて数千枚の絵を短期間で仕上げることがザラな世界だそうです。めんどくさいの極みですね、苦行です。
ではなぜそんなめんどくさいことを続けているのか。ぽち慶個人の体験談からすると”するしかなかった” からです。
ぽち慶は幼い頃、とても滑舌の悪い少年でした。特に”き”と”ち”を分けて発音できなかった。きちがい、は、ききがいになってしまった。クラスメイトに「一々郎※いちいちろう」がいて発音する度に大変バカにされた。小学校の卒業式の旅立ちの言葉で自分が担当の言葉が「一日一日丁寧に紡ぎ合い」に決まった時は本当に呪われていると思った。口から言葉をだすことが恐怖だった。その上ビタミン不足でいつも口内炎があったことが火に油を注いだ。ぽち慶は運動苦手で、テストの点数は良くなく、歌は下手だった。そして言葉によってさえも自分を証明できない少年は残酷な小学達の格好の的だった。
しかし、ひとたび図工の時間になればそこはヘイブンだった。みんなが知っているもの、友達の顔やその人をイメージづけている持ち物、マリオやポケモンやゲームのキャラクターを描けば皆それを喜んでくれた。それらを描くことによってぽち慶は教室という社会に認証され、無用のものではなく、自分の場所と役割を作り出すことができた。それは自分を救う唯一の方法だった。やがてぽち慶は絵を描かかずにはいられなくなり、習慣化し、描くことによって快感さえも得られる体になっていった。
あなたが今日苦しみを伴わず、一枚も絵を描かないで布団に就つけているならば、あなたは幸せものだ。あなたは幸いだ。あなたは苦行して絵を描かなくてはならないほど不幸ではなかった。それはいいことだとぽち慶は思う。無理して不幸になる必要はないです。ぽち慶は幸せになりたいから絵を描く。
ぽち慶が絵を描くことになった動機は上記だ。極稀に楽しすぎて絵を描き続けている天才に会う。本当に素晴らしいことだし、敵わないと思う。
しかしもしあなたが不安に駆られ不自由と恐怖と鬱屈とした毎日に苦しんでいるならば、あなたは絵を描くことができる。音楽、文章、スポーツでもなんでもいい、あらゆる芸事は時空を飛び越えあなたを救う。あなたにあなたの役割と場所を与える。あらゆる芸事、そして絵は誰にでも開かれているのです。